考える足

パリでアレクサンダーテクニークを教えています。日々少しづつ学んでます。

努力の方法

「努力する」とか「集中する」って子供の(大人でも)教育面でよく使う言葉だけど、「どうやって?」なんて素直に子供に聞かれたりしたらどうでしょうか?
 
今日は「努力」についてちょっと考えてみます。
とにかく「なんでもいいから一生懸命やる」「とにかく長い時間やる」とか間違ってはいないけど、もし自分のやってることの方向性、努力の方向性があってなかったら遠回りになってしまうかも?
 
 たぶん、「力み」の正体はここにあるかなと思っています。既成概念、正解、自分の経験にこだわりすぎてしまうこと。執着を手放すと、すっと力が抜けるように思うんです。

 

 アレクサンダーテクニークでも「努力=自分が努力していると思っている方法」を繰り返し続けることは物事の改善又は上達方法として良しとしていません。

 
同じく「力み」の原因に「集中」もありますね。
 
「努力する」ことも「集中する」こともとても大切なことです。勉強も仕事も芸術活動も何かを成し遂げるためにみんながしなくてはいけないことです。でも問題はその努力や集中の方向性や方法が自分にとって効果的かどうか。なぜ勉強や楽器の練習に同じ時間費やして結果が違うのか?
 
ではどうやって自分のしている努力や集中の方向性が正しいかどうか知ることができるのでしょうか?
ちなみに私のところに来てこれでいいでしょうか?と尋ねられても「多分。。。」としか答えられません。が。。。
 
一応、私のレッスンでのアプローチを説明します。
普段説明にあまり時間をかけないことが多いのと、子供のレッスンの場合理屈詰はよろしくないかと思うので、レッスンでやる単純な動きはこんなことにつながってるんだなと親御さんの参考になれば嬉しいです。
 
  まず、自分の考えているほとんどの「正しさ」は条件によって変わるということを体を通して経験していきます。「僕はこう習った」「正しいのをやってる」という反応は「唯一への執着」=「力み」を生み出してしまうので少しずつ、アレクサンダーテクニークやヨガで「脳に余裕のある状態」を作っていきます。

 

脳に余裕がなくなってしまうのは、慣れていない状況や刺激、もしくは

その状況に過度にこだわってしまうことです。

ちょっと語弊があるかもしれませんが、頭の働かない混乱状態、

 周りのものを把握しきれていない脳の状態です。

 

なので、なんでもない日常から刺激に対して落ち着いた状態でいやすい脳に

鍛えることをしていきます。


(トラウマになるような刺激や危険な状況での反応は別です。本能的に自分を守る反応は必要ですが学校の試験という刺激では必要のない反応ということですよ。)

 

混乱状態を勇気をもって自分が把握できる状態まで落とすと脳は働きだします。

頭の回転も上がっていきますし、感度も上がっていきます。

ということを知ったら本当に自分が把握できているスピードは?動きは?

を選べるようになり、とりあえずこなすではなく把握できている状態のもので

少しづつ出来る幅を広げていくを選べるようになっていきます。結果として少しづつ「自分のしていること」への認識力や感度が高まってきます。体の働きはもちろんですが心の働きに関しても同じことが言えます。例えばそうです。「努力する」とか「集中する」とか。
 
レッスンでは簡単な動きの中で体と心の使い方を経験していただき「自己の使い方」のトレーニングを少しづつしていきます。
以前も書いたのですがレッスンでは個人のメンタル事情などあまり意味を持たないことが多いです(もちろんお話を聞くことはできますが)。
 
ちょっと長くなってしまいましたので今回はこの辺まで。
「集中」「努力」「緊張」「リラックス」というテーマはきりがないのでまた次回少しづつ書いていきますね。

f:id:czoumama:20200825214308j:plain